やっぱり食事が好き、ありがたい体質を卑下しない

食べ物が好きすぎる性質は天がくれた才能。神様からのありがたいギフトなのだ。

みんな自分ぐらい食べ物に興味があると思っていたが違かった。

まったく食べ物に興味がなくて食べる事が億劫である人種がいることを知ったのは社会人になってから。
ある一定数いるのである。
食べ物に興味がない人類が。

栄養を取るために口にしょうがなく食物を入れている。
食べる量も必要最低限。
恐ろしいのはダイエットを意識して小食にしているのではなく、ナチュラルに!自然に!小食なのだ。

彼女たちと一緒に食事をとると私基準だとスタートラインに立ったぐらいで食をストップしてしまう。からあげを2個食べて、あーもうダメ。脂っこいと食べれなくなるねぇー。ぶりっ子でも、小食アピールでもない、まじで腹いっぱいの彼女ら。

一緒に食事をすると基準を合わさないと恥ずかしくなるから、苦行の食事となってしまう。

彼女たちから私を見ると化け物だ。自分の一週間分を一食で食べきれる怪物。いつもムズムズ何か食を探し求めている「食いしん坊」

私から見ると彼女たちは宇宙人だ。食欲という欲望器官がないゾンビ。何も食べなくても何日も人生を楽しむ「エイリアン」

なぜここまで食欲に対して違いが生まれるのか。
その原因は「味覚の感度」ではないかと思う。

感度が高ければ高いほど美味しさを感じる。

反応しすぎる感度は一種の麻薬的な快感になる。

快感はその行為をより求めようと、より強い欲求になり、習慣行動へと強化されていく。

この結果が食べ過ぎであり、食べ過ぎの結果が肥満。

逆に感度が低い場合は対象物に興味も積極的な摂取意欲も持たない。

同じソフトクリームでも
「あーおいしいね」とスマホと触りながら食べる「エイリアン」と
マジでこれ作った人最大リスペクトだわと思いながら無言で食べる「食いしん坊」

このリアクションの違いは感度の違いなのだ。

この違いの積み重ねが「痩せている体質」と「肥満体質」の違いを生み出す。

からあげ2個でお腹いっぱいになる彼女を羨ましいと思ったことがある。

でも心からそうなりたいとは思えなかった。

羨ましいのは体形だけ、彼女のような食の楽しみ方はまったく羨ましくなかった。

私は唐揚げ10個を最大限に楽しんで食べれる。
その体質はうれしいことだ。
食をエンターテイメントとして据えることができる。
1日三回の最高の楽しみを享受できるボディ。

太りたくはない、痩せたいけど、でも食を楽しめる体質に感謝している。

神様からのギフトを大切にしつつ痩せたい。